2011年山田町へ帰省:8月13日の活動報告

■この日の活動成果
・山田町立大浦小学校への寄贈
・大浦地区仮設住宅への配布
・山田町観光協会への寄贈
・山田高校下仮設住宅への配布
・岩手県立山田高校への寄贈
・山田中学校グラウンド仮設住宅への配布

活動2日目は父に車に乗せてもらい大浦漁協の辺りからスタートしました。
ちょうど私の実家の大沢地区とは、山田湾を挟んで反対側になります。

向かったのは小谷鳥海岸。
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正直大浦は小さい頃に行って以来あまり訪れてなく、元の風景が分からないものの、やはり道沿いの家があったと思われる場所は土台のみを残して何もなくなってしまってました。
小谷鳥海岸にはいつもどおりカモメが戯れ、いつか見た風景の通り波が打ち寄せてました。
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小谷鳥は初めてお付き合いした知人が住んでいた場所で、当日どこにいて流されてしまったのかは分かりませんが、小谷鳥の海岸に向かって手を合わせてきました。思い出すとその子が「もぉ〜、大さんったらー。」という言葉と共に見せる、困った感じの笑顔が今も思い出されます。どうか子供共々、安らかに眠って欲しいと切に願います。

小谷鳥から再び大浦漁協方面へ。

途中、私と逆方向に小谷鳥海岸方面に一直線に走るワンちゃんと遭遇。

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美化して考えんなと誰かに怒られそうですが、私に脇目をふらずに走るその姿に、特別な雰囲気を感じてしまいました。
気のせいであればいいのですが、飼い主さんが無事であることを祈ります。

大浦の仮設はこの間もツイッターで話題に上がりましたが、田んぼの上に砂利を敷いて立てたとのことで、湿気がひどいようです。折角のお米もカビが生えてしまっている方も居るようで。
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シーズン終わりとはいえ、除湿剤など支援が可能な方はよろしくお願いいたします。

まじかで初めて見ましたが、大浦にはKDDIの仮設アンテナが設置されていました。
連絡が途絶えた後、多くの方々に安心を提供したんだろうなと感慨深いものがありました。
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大浦小学校は休校となっていたのですが、親切にもツイッターでやり取りをさせていただいている川端さんがご配慮くださり、後日大浦小学校へ届けてくださるとのことでお渡しして参りました。本当にありがとうございました。

その後、大浦で知人と話していた父に再び乗せてもらい、一気に四十八坂まで移動しました。
前回帰省した際も青少年の家から歩いたので、今回もできるだけ同じ道をと思い、ここをスタート地点としました。

今回は実際に足を運べませんでしたが、ここから見る田の浜は前回よりもだいぶガレキも撤去されている様子でした。
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前回と大きく変わってしまったのは前須賀の室内プールがあった所。鯨と海の科学館のところと同様に大きなガレキの山が出来てしまってました。あれだけ町中にあったガレキが無くなったのだから当たり前と言えば当たり前なのですが...。
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船越の山ノ内のところで高校以来の後輩と会うことに。
船越の海を見ながら話してたのですが、私がゴールデンウィークの時に比べたら、みんなが前をむき出してる印象があるけどどう?という問いかけに対して、「どうなんすかね〜。皆、慣れだんでね〜のがな〜?」という回答。ずっとこの場に住んでいるから言える言葉だなーと、なるほどなーと思いました。別の日ですが姉と話した時も「震災を受け入れ出してるかもね〜」と言ってたのも印象に残っています。

その後お別れし、道の駅を目指すことに。途中見かけた船越駅は、雑草を生やしながらも列車の往来をまっているようでした。
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道の駅に到着して、早速観光協会さんへ。
第2号と3号の製本版を渡していなかったので、寄贈して参りました。休んでくださいと事務所に入れていただいたところ、早速道又さんが第3号の過去の写真を見て、当時取れた貝の話しなどしてくださいました。
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山田写真を見ながら色んな所で、こういった会話が生まれてくれればなーと思いました。
そうそう、ここでは「結いの心」「NORASUNAYO」Tシャツをそれぞれ購入して参りました〜。今後の被災地関連の集まりにはこれを着て参加です(笑)

道の駅でパンを買ってポケットに突っ込んで織笠川沿いに山田高校を目指しました。
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前回の帰省ではもっともショックを受けた場所だったこの織笠川沿いの織笠地区。今は川の中からも船やパイプ、鉄くずやガレキは多くが取り除かれ、住宅地からもガレキが撤去されておりました。前回私が見た中で最も手つかずの場所だった為、3ヶ月でここまで片付いたのに驚きました。人の力ってすごいなと実感しました。
人が生活出来るまではまだまだではありますが、徐々に立て直していって欲しいなと。とは言え、安全性を考えとこの体育館より奥の方でないと難しいのかな〜?みんなが安心出来る納得出来る町が出来て欲しいな〜と願うばかりです。


川沿いに向かってグルーっと周り、どうにか山田高校の下に到着。炎天下と大荷物のためめっちゃ疲れ切ってました(笑)

自販機でジュースを飲みながら一服し、ここにも設営された仮設住宅を訪問。すぐに子供たちがよって来てこの状態☆
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流された風景の中から「○○ちゃんの家あったー!!!」と、わずかに写る場所を指差し喜んでくれる姿に疲れが吹っ飛ぶ思いでした。この活動をやってよかったと改めて感じました。

その後、母校の山田高校へもパンフレット版ながら寄贈。
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さらに坂を下って山田中学校のグランドに出来た大仮設住宅に移動。たまたま話しかけて来たお母さんが知人のお母さんでびっくり!
明るいお母さんなのでこれは安心!と、みんなで見てくださいと山田写真をゴソッと手渡してきました(笑)

これにて、この日の活動は終了となりました。

恒例の余談ですが、頑張ろう!と、元気づけよう!と、多くの花壇に花が植えられておりました!
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このヒマワリも誰かを元気づけたいと思う方の手によって育てられたんだろうなと思います。
自分がやれる範囲でそういった思いやりを皆がやっていくことで、思いやりの連鎖が生まれて、絆になっていくんだろうなと思います。
多くのことを感じることが出来た良い一日でした。

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このページは、daikick634が2011年8月22日 23:59に書いたブログ記事です。

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