2011年山田町へ帰省:8月12日の活動報告

■この日の活動成果
・岩手県立山田病院仮設診療所への寄贈
・山田町大沢の山谷仮設住宅への配布
・山田町立大沢小学校への寄贈
・山田町大沢の大沢小学校グラウンド仮設住宅への配布

帰省一日目は自分の家から比較的近い所に回りました。
まずはゴールデンウィークに第1号も配布していた山田病院へ、今回も平泉先生を訪ねていって参りました。
これまであった山田町柳沢の病院は津波の影響で設備もやられながら、やれる限りの医療を続けていたようですが、7月4日、津波が来ても安心な山田町大沢の山谷地区へ仮設の診療所が出来ました☆

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スタッフさんの手作りの壁新聞が作成されていましたが、その紙面では多くの支援の感謝と、こうして再び山田病院で働ける喜びが綴られていました!

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お忙しい所、山田写真を手に取りいろいろとお話しを聞かせて下さった平泉先生、そして写真を撮る為に平泉先生に呼び止められた看護士の方(笑)、本当にありがとうございました!!

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次に向かったのは山田町大沢の山谷仮設住宅。

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仮設住宅への訪問は初だったので少々不審者ばりにきょどってしまいましたが、集会場の場所を見つけて突入...、したかったのですが、鍵が閉まっている。。。
ということで、その隣の部屋の玄関が開いていたため、ごめんくださーい!と突入しました。
そこに住んでいたのは一人のおじいさん。ちょっとお話ししたら「まあ、上がったんせ〜。」と部屋に招き入れてくださいました。
集会場については仮設居一ヶ月くらいが立つけどまだ活用されていなくて誰が鍵を持っているかもわからないとのこと。
各仮設の居住者内で役回りが決まる必要があるんでしょうが、こういうお一人でお住まいの方の為にも早く運用して欲しいなと思うのです。
そのあとは、そのおじいさんに山田写真を渡しつつ、ついでに教えていただいたそこそこ顔の広い方(笑)の部屋を訪問して、同じく山田写真を数冊お渡ししみんなで出来れば回覧してもらうようにお願いして後にしました。

その後は、大沢小学校へ移動しました。

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まずは職員室を訪問いたしました。
この日が休校前日で、しかもあと20分ほどで戸締まりしなければならないというタイミングにも関わらず、先生が丁寧にご対応くださいました。山田写真は図書室に置いていただき、子供たちに見ていただくことにしました!

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お話しをしていたのですが、話題は大沢小学校の伝統として続いて来ている全校児童表現劇「海よ光れ」のことへ。私が小学校1年生から始まった、24年の歴史を持つ演劇です。山田町を舞台としておじいさんが孫に山田町の生活、過去の津波、魚の乱獲、海の環境について話していくというストーリー。大沢小学校出身者はみんな好きな劇です。今年もどうにかやって欲しいと思っていましたが、子供たちの中にも気持ち的に辛い子がいるようで、まだまだ悩み、検討している状況とのことです。親を亡くした子供もおり、津波の表現など無理にはやらせたくないとのことでした。私も同感でした。無理な子を除いてとなると、全校生徒が90人弱にまで減ってしまっていることもあり、波の表現などはかなり厳しく、先生自身もやりたい子にはやらせてあげたいと思いながらも非常に悩んでいる様子でした。悩ましいですね。
このお話しの他には、校庭に出来た仮設の話しをしました。他の小学校などではグランド全体に仮設住宅が建設されたようですが、大沢小学校では子供たちの運動の場を残してあげたいと半分は残すという判断になったようです。

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小さい子供からそのまとめ役と思われるお兄ちゃんまで元気に遊んでいました。仮設はお父さん、お母さんが仕事で不在の時間だった為、おばあちゃんと、まとめ役お兄ちゃんに山田写真を預け、みんなで見てもらうようにお願いして後にしました。

大沢の待ちを見渡しながら、最後に訪れたのは中忠商店さん。津波に流されなかった倉庫を店舗として復活させました。

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山田写真からも写真を提供した、障害者介護施設 はまなす学園の佐藤啓子さんの詩集。それを出版された合同出版の山中さんがこの中忠商店に義理の妹さんがいらっしゃるとお聞きしていたため、幼少期からのただの商店というのとはちょっと違う気持ちでお伺いしてきました。

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ゴールデンウィークの時にはガラスが入ったばかりというようなタイミングで商店として復活させるまではまだまだかなと思ってましたが、すでに様々なものを取り揃えて頑張っていらっしゃいました!
山中さんからもお話しは聞いていたようで、「柴田さん所のだいきくんね〜、大きくなって〜」と迎え入れてくれました。
若奥さんとお話しが出来たのですが、店舗が完成出来るまでは行商の形でお宅を回り、今でもお年寄りが多い地域のため行商は続けているとのことでした。
最近は風景を見慣れてしまったこともあり、以前どんな家があったか一瞬思い出せなくなってしまうこともあるようで、山田写真を喜んでくださいました。

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もちろん帰りにはのどごし生とキャスターマイルドをちゃんと買って帰ったことを、念のためご報告しておきます.: *:( *´艸`).:゚+

こうして、1日目の活動は終えましたが、余談を一つ。

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ガレキが除去された建物の後には雑草が生え、ここに家があった記憶が一瞬惑わされる状況となっておりました。
ただ、ゴールデンウィークで一度帰っていた為か、その反面、多くの方が前に進み出しているような感覚も得ました。
慣れという言う人もいれば、この震災を受け入れ出したという人も居ると思いますが、なんにせよ、この町は進み出しているんだなと実感しました。

早く不自由のない生活ができるようになればとは思いますが、住んでいる方々の無理のない歩幅と速度で着実に進んでいって欲しいなと思いました。

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このページは、daikick634が2011年8月15日 18:55に書いたブログ記事です。

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