2011年4月5日の希望の種:1つ1つの悲しみを乗り越えて

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110404t13037.htm

家族8人、私だけ生き残った がれきの自宅 思い出探し

東日本大震災で宮城県気仙沼市波路上杉ノ下の本吉響高3年三浦美咲さん(17)は両親と2人の妹ら7人の家族を失った。一家で残ったのは自分だけ。

(中略)

家族全員が津波にのまれたらしいと聞かされた。自分がおかしくなるぐらい泣いた。伯母(47)の家に身を寄せた。数日後、妹の美穂さんが遺体で見つかった。6人は安否が分からない。
自宅に行った。跡形もない。周りの家も木くずになっていた。
写真が見つかった。母と妹と一緒に滑り台で遊んでいる。昨年、家族で牧場に行った時の1枚だ。

(中略)

伯母さんは温かくしてくれる。友達は励ましの言葉を掛けてくれる。
カレンダーは4月になった。
「もう泣きません。家族に顔向けできないから」

本当にどんな気持ちか計り知れない。この記事にもあるけど、なんであの時こうしなかったんだろうと、大切な人を亡くすと後悔の日々が続くんですよね。傷は大きく残りながらも彼女は前を向きはじめました。哀れんでは彼女に失礼だと思いました。

こういう記事を見て思うのは、1つと言えど計り知れない痛みが生き残った人に訪れていて、それが12,000件もあるんですよね。それが全てすぐに復興という方向に前向きになることは難しい。前を向ける人は前を向きつつも、横を見て前を向けずにいる人の側に居てあげながら、いつの日かみんなで前を向けるよう支え合っていかなければ復興とは言えないんだなと思いました。

きれいごとだとは思いますが、建物が建って産業、商業が戻るだけでは復興とは言えないんじゃないかな。人により角度の違いはあれど、みんなが前を向けてこそ、本当の復興と言える気がしました。

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